ショパン「幻想即興曲」の解説

21歳のころのショパン

ショパン(1810-1849)は1831年、21歳のとき、パリに行き、翌年にパリのプレイエルのサロンでパリ・デビューしました。プレイエルというのはピアノメーカーです。写真はその頃のショパンです。

 

 

1830年に11月蜂起が起こり、ショパンは音楽活動ができなくなり、パリ行きを決断しました。1831年に、蜂起が失敗に終わったことを知り、心の痛みの叫びを「革命のエチュード」に込めました。パリでデビューしたあと、「幻想即興曲」は1834年に作られたとされます。

 

ショパンはこの曲を出版しないよう、言い残しました。ショパンがこの曲を出版してほしくなかったのは、「感傷的」で「高貴さがない」と言われたことや、誰か(ベートーヴェンやモシェレツ)の曲に似ているからだといわれていますが、真相はわかりません。エステ男爵夫人に献呈されたことはわかっています。その楽譜を見つけたのは、ピアニストのルービンシュタインでした。

 

ショパンの意に反し、死後、出版されてしまった「幻想即興曲」ですが、あまりに美しく、人を魅了する曲として、現在は最も人気のある曲のひとつとなりました。

 

 

1835年後半からショパンは健康問題(結核)に苦しみ始めました。有名なジョルジュ・サンドと知り合ったのは1836年です。